プロフィール
大学一回生で家出し、それから学生結婚をし新聞配達をしながら、大学を卒業。
大学卒業後、父親が経営していた会社へ入社。営業、販売管理を勉強し、父親の会社ということもあり、独自でデザイン、カラーリングを勉強。
今はなくなったが、当時一般的だった3足1000円のソックスの柄物を私が 考案し、世に広める。
そして企画・仕入れの責任者として、ソックスだけでなく、トータルファション の世界へ。
自社ブランドを多々立ち上げる。生産・仕入で12年間海外に飛び回ってました。
(イタリィ・フランス・アメリカ・香港・台湾・韓国など)
始めての韓国出張の際、タクシーの運転手が死ぬほどの交通事故に遭い初めての地で入院。
はっきりはわからないが、あの世とこの世を一瞬であるがさまよった気がする。
とても気持ちよく、もちろん痛みもなく、過去の出来事がスピーディに見えたことを今でも覚えています。
それからは、なぜか韓国が好きになったというか、後日韓国の地に着いた時からなぜか ほっとしたのです。自宅へ帰った時のように、、、。
入院中、仕事関係の方と見舞いに来てくれたモデルの卵と知り合うことになります。
私の一目惚れですが、、、。
韓国の出張時だけ会う不倫の関係が続きました。二人でデートしている時、よく写真を撮られたのを覚えています。
日本では、考えられないですが、当時の韓国男性のファッションは、田舎者みたいで
派手なファッションの私とモデルの卵が歩いているのですから無理もないのです。
スター気分になれました。
結婚当時、妻(前妻)は、父親が働かない家庭に生まれ、苦労したこともあり、仕事を必死にする男性と結婚する願望があったのですが、子供が幼稚園に入ってからは、仕事も大事だが、子供をどこかへ連れていってやってほしいと愚痴をこぼすようになりました。
私は、日曜日も休まず(年間20日弱の休み)、朝8時半から夜11~12時ぐらいまで働いており、子供と遊ぶ時間はなかったのです。
子供の友達が休みの日にどこそこへ行ってきたとかを子供が母親に言うことが積み重
なり、妻から母親になり、日々愚痴を言うようになったのです。
とうとう離婚の話が出てきたのですが、子供をどちらが引き取るかで結論がなかなか出ず、3年間別居し、最終的に家庭裁判所で判決。母親が引き取ることに。
別居してからは、言い訳になるかも知れませんが、寂しさから、韓国の子そして台湾にも彼女を作りました。
なぜかくどく子くどく子と上手くいくのです。
人生で一番華やかだった時期だと思います。
当時韓国1週間、台湾5日間、そして日本というローテーションで出張しており、スポットでヨーロッパ、アメリカへいってました。
日本にいる時は、一人暮らしの寂しさで、会社が終わってから、大阪ミナミの飲み屋さんへ行って毎日朝5時ぐらいまで遊んでいました。
飲みに行くといっても私は、お酒がほとんど飲めません。
うす~いうす~い水割りを飲みながら、カラオケで歌う毎日でした。
バブルの崩壊と同時に父親の会社も倒産。倒産する前から、経営の悪化に悩み、自分を責め、はじめてのうつ病になる。
当時私の自宅は、マンションの22階にありました。ベランダに出て1、2、3、でとび降りれば、下までまっさかさま。
今までの悩みや苦しみからも解放される、十数秒でなくなる。楽になれる。
あの時の私にとって、この世とあの世の距離は部屋からベランダまでの距離しかなかったのです。
極端に落ち込むと自分を責め続け、その苦しさから逃れる出口を探し始めました。
やがて「楽な出口はこっちだよ」と手招きする何かを見るかのように、自らの意志とは違う何かに引っ張られて、ある瞬間、気持ちがその出口向かって突っ走りたくなります。
まさか自分がこんな病気になるとは、夢にも思いませんでした。
それから、日本で何人かの女性と付き合い、その中の1人韓国女性と結婚。
しかし、彼女は、偽装結婚で入国しており、私との結婚ビザ申請の際、事情を説明しましたが、法律は法律とのことで、入管で拘束され、強制送還されることになったのです。
そして、2年間は、絶対に再入国の許可が下りないと。
会社が倒産後、彼女との生活の為、私が韓国を往き来することになり、韓国ソウルで簡単な韓国語で商売できるものと考え、某大学前でカラオケBOXを始めるのです。
契約金等で約1300万円ぐらいかかりました。日本から送金し、契約は彼女がしたのですが、後日韓国へ行った時にその契約書を見てびっくりしたのです。
日本の常識では考えられないことが、、、、。
実は、契約書が新聞の折り込みチラシみたいな広告紙の裏に書かれているのです。
私は、唖然としたというか1300万円という大金の契約書がこれなのか???
騙されているのでは? 彼女いわく、これが常識だと、、。
だんだん怒りに変わり、絶対におかしいと言い合いになりました。
韓国で仕事していた時からの故意にして頂いている社長に相談したところ、これでも大丈夫との回答。でも納得いかず、正式な契約書に切り替えてもらいました。
当時のことは、まだはっきり覚えています。
それからは、カルチャーショックの連発。
たとえば、その店の廊下、部屋の床は、カーペットがひかれていたのですが、そこへたばこの灰は、平気で落とすし、ツバまで吐きます。
それを見た私は、怒り客に文句をいうのですが、、、。
彼女いわくこれもいいことではないけど、普通と、、、。それをいちいち文句言っていたら、商売できない。ここは、韓国ですと。
とにかく、学生であっても酒癖が悪いというか、とことん飲むのです。
店がビルの3階にあったのですが、何度階段や踊り場を吐いた処理をしたことか。
ひどいのは、店内のトイレ洗面台に吐けば、詰まる。男子用は掃除が大変と、、、。
2年半ぐらい店をしていましたが、50回以上は自分がした記憶があります。
変な話 これも何回かする内に慣れるんですよね。
そして、もう一発。とにかく看板を蹴る、ど突くのです。1回ビル入り口付近に出しているのですが、いつのまにか壊されるのです。その度に修理です。
どこの看板もそう なんです。たぶんまともな看板はないでしょう。
悪いことばかりかというとそうでもないのです。学生がほとんどだったのもあるのですが、狭い部屋でも10人ぐらい入って、立ってみんな楽しそうに唄っているのです。
文句も言わず、これは助かりました。
そして、ソウルでも日本人がいない地域だったのですが、私に対して変な目で見ることなく、いろいろ良いお付き合いをして頂いたのです。
後に帰国後、アルバイトで来ていた男の子は、私に慕い留学までしてきました。
帰国後、知り合いの社長のお世話で、大阪ミナミの夜の街でメンズのブティックを始めることになります。
すぐにその世界にとけ込み、やくざやさんや飲み屋のママ、おカマちやん、おなべちゃんそして、ユーハーフの方々とお知り合いになれました。
夜の街 たまに変なやくざやさんが絡んでくることもあったのですが、ある時、イケイケのやり手のやくざやさんと親しくなり、その方が出入りするようになって、そんな問題もなくなりました。
夜の街のお店の方とも親しくなり、今でもミナミへ行った時、声をかけて頂きます。
ありがたいことです。
みなさんが言うのは、あんたは、一度見たら忘れへんなぁと、、、。
だから、悪いことしたらあかんでぇ。
なんせ印象がきついらしいです。服装もそうなんですが、、、。
あのミナミの夜の街の方に派手と言われていましたから。
そして、翌年にレディスのブティックをメンズと平行してスタートしたのです。
それからして、ある方と知り合いになるのですが、その方とは、神戸福原のソープランドのオーナーだったのです。
2店舗あり1店舗の方を雇われ社長としてやってほしいとの依頼を受けるのです。
ミナミの景気もだんだん芳しくなくなり、条件もいいのでやってみるかと判断したのです。
ちょうど夏のバーゲン前のこと。全メーカーさんにキャリーもの(昨年在庫)を含めて出せるものをお願いしました。
各メーカーから届いたものを見てビックリです。凄い量なのです。
普段でもぎっしり置いている店にその5倍強ある商品。
とても捌ける量ではないとメーカーに話ししたのですが、売れるだけ売ってくれとどこも同じ返事。余程景気がよくなかったのでしょう。
まぁ 売れるだけという言葉で安心して、1週間の店じまいセールをうつのです。
開けてまたまたびっくり、飛ぶように売れるのです。
昔のバーゲンを思い出すぐらい人が集まります。そうなると群衆心理というのか必要以上のものまで買っていくのです。
結果ですか?信じられないと思いますが、全て売りました。完売です。
メーカーさんもビックリです。もう一度クリアラスとしてやってほしいとの依頼がありましたが、それは、お客さんとの信用にもなるので断りました。
最後の一点なんかは、取り合い状態でしたね。
そして、店を片付け、福原へとなるのです。
