私の部屋

韓国での入院生活

2007年4月 9日 23:07 | コメント(0)

大病院へ移っての初日の午後からは、自己のうわさを聞いてか、会ったこともない会社の重役連中や社長の見舞いでてんやわんやしていました。
しかもなかなか変えることもせず、居座るのです。だから、増える一方なのです。

病院側もびっくりした様で、なにか政治界関係、芸能関係かと思われるぐらい人、人でした。一番びっくりしたのが、我々の方でした。病院の方も他の患者にも迷惑がかかるとということで、急遽病院の一番奥に当たる大部屋に移動。その部屋も元々いた患者さんを移動しての移動だったようです。なんか隔離されたような感じでしたが、他の入院患者さんと顔を会わすこともないのでよかったです。

入院して、始めにびっくりしたことが、点滴の落とす速度を調整するプラスティックの絞るものをご存知だと思いますが、そこの病院では、アルミ箔でした。そのアルミ箔をキツく絞るかで調整するという原始的な方法にまずびっくり。

次にびっくりしたことが、私は、腰を強く打撲したのか、寝ているのも辛い状態でした。それを現地の日本語のできる商社の人間に看護婦に説明してもらい対処してもらったのが、厚み1cm~2cmぐらい合板をベットの上に敷き、その上に直にシーツを引きそこに寝るというものでした。

これが、意外なほど楽なのです。確かに皮膚というか肌にはある違った軽い痛みもあるのですが、腰への負担が全然違いすごく楽になったことを覚えています。

それから、もうひとつ病院食です。確かに入院した我々は、内臓等の疾患による入院ではないのですが、キムチが必ず出てくるのです。えっ こんな辛いもの大丈夫なの?って思いました。
まぁ 我々日本人の感覚からしたら、漬け物、たくわんの感覚なのかも知れません。

我々特に私と父親は、初めての韓国そして韓国料理しかも病院のもの。食べれるはずがありません。全然手を付けずにいると、みんなが心配してか、デパート、日本料理店からてんぷら、寿司、うどんなどとにかく各商社が交代で朝・昼・晩と持ち込んで頂いたことを感謝しています。

決して、めっちゃおいしいとは言えませんが、充分のおいしさと心を感じました。
もちろん商社がお休みの土曜、日曜も来て、何時間も何人の方がいるのです。おっきなビジネスするかどうかわからないのにね、、、。

前日、前々日に行ったキーセンハウスのママさんや女の子たちもいっぱい来てくれました。雑誌等のモデルさんやそのモデルさんに付いてきたモデルのたまごさんもどこのどんな関係で来たのか知りませんが、興味津々に来てくれていました。その中のひとりに一目惚れするぐらい可愛い子がいたのです。これも縁なのでしょうか。その県は、後編でお話するとして、とにかく、私たちの事故入院パーティーみたいに毎日毎日お祭り騒ぎ状態でした。

私は、左足の先からふくらはぎかけての石膏ギブスと左ひじを固定する金属板を挟んでの包帯での固定という格好です。トイレへも左に松葉杖、右手は点滴を引っかけている車付きのものでぼっちらぼっちら行くんですよね。

そんなある日トイレで小さい方をしている時、なんか足に水滴というか細かい水滴が飛んで足にかかるのを感じるのです。おしっこが飛んだのかなぁ?と汚ねぇとか思っていて下見たら、真っ赤かの状態。そうなんです。トイレ行く途中に点滴の途中のつなぎ目外れて、血が逆流してるんですよね。慣れというか血を見ることに慣れたというのか、全然びっくりもせず、何にもなかったかのように、外れたチューブを繋いでいました。

この大事故により、なぜかわかりませんが、痛み、血に対する恐怖感はなくなっていました。というより、左ひじの伸ばしたり曲げたりできない状態をなんとかすると言われ、処置室に連れていかれ、ふたりの看護婦さんに後から捕まえられ、左のひじに消毒液を塗られ、医者が太い針をつけた大きな注射器を持ってやってくるやいないや、、、、。

そうです。いきなり肘の関節の間へその太い注射針?を差し込むのです。そして、中のものを探るかのように針先をいろんな方向へ。そしてふと見た注射器の中には、真っ黒と言ってもいいぐらいの血が抜かれていました。

数分後、医者のOKと一言で、針は抜かれ、背後の看護婦から解放されたのです。私は、ほとんどそんなに大袈裟にするほどの痛みとは思わなかったのです。そりゃぁ 一応神経も通っているわけですから、痛いのは痛いですよ。それよりもびっくりしたのは、あれだけ痛みをこらえても動かすことができなかった肘が楽に動いたことです。

肘の関節の骨折か何かだと思いこんでいた私は、うれしくてうれしくて。なんだ、そんなことで動くのかよ。要は打撲で生じた内出血の固まりを注射器みたいなもので抜いただけなのです。それでうそのように痛みもなく、、、、。感激でしたね。

そして、そういう入院生活を韓国で1週間し、日本への帰国へとなるのです。
近い距離ですが、私だけファーストクラスで帰ってきました。

初めての韓国。いろいろな経験をさせてくれた韓国。そして私の人生において大きな存在になっていく韓国。そんな韓国との初対面の思い出です。

大病院へ移っての初日の午後からは、自己のうわさを聞いてか、会ったこともない会社の重役連中や社長の見舞いでてんやわんやしていました。
しかもなかなか変えることもせず、居座るのです。だから、増える一方なのです。

病院側もびっくりした様で、なにか政治界関係、芸能関係かと思われるぐらい人、人でした。一番びっくりしたのが、我々の方でした。病院の方も他の患者にも迷惑がかかるとということで、急遽病院の一番奥に当たる大部屋に移動。その部屋も元々いた患者さんを移動しての移動だったようです。なんか隔離されたような感じでしたが、他の入院患者さんと顔を会わすこともないのでよかったです。

入院して、始めにびっくりしたことが、点滴の落とす速度を調整するプラスティックの絞るものをご存知だと思いますが、そこの病院では、アルミ箔でした。そのアルミ箔をキツく絞るかで調整するという原始的な方法にまずびっくり。

次にびっくりしたことが、私は、腰を強く打撲したのか、寝ているのも辛い状態でした。それを現地の日本語のできる商社の人間に看護婦に説明してもらい対処してもらったのが、厚み1cm~2cmぐらい合板をベットの上に敷き、その上に直にシーツを引きそこに寝るというものでした。

これが、意外なほど楽なのです。確かに皮膚というか肌にはある違った軽い痛みもあるのですが、腰への負担が全然違いすごく楽になったことを覚えています。

それから、もうひとつ病院食です。確かに入院した我々は、内臓等の疾患による入院ではないのですが、キムチが必ず出てくるのです。えっ こんな辛いもの大丈夫なの?って思いました。
まぁ 我々日本人の感覚からしたら、漬け物、たくわんの感覚なのかも知れません。

我々特に私と父親は、初めての韓国そして韓国料理しかも病院のもの。食べれるはずがありません。全然手を付けずにいると、みんなが心配してか、デパート、日本料理店からてんぷら、寿司、うどんなどとにかく各商社が交代で朝・昼・晩と持ち込んで頂いたことを感謝しています。

決して、めっちゃおいしいとは言えませんが、充分のおいしさと心を感じました。
もちろん商社がお休みの土曜、日曜も来て、何時間も何人の方がいるのです。おっきなビジネスするかどうかわからないのにね、、、。

前日、前々日に行ったキーセンハウスのママさんや女の子たちもいっぱい来てくれました。雑誌等のモデルさんやそのモデルさんに付いてきたモデルのたまごさんもどこのどんな関係で来たのか知りませんが、興味津々に来てくれていました。その中のひとりに一目惚れするぐらい可愛い子がいたのです。これも縁なのでしょうか。その県は、後編でお話するとして、とにかく、私たちの事故入院パーティーみたいに毎日毎日お祭り騒ぎ状態でした。

私は、左足の先からふくらはぎかけての石膏ギブスと左ひじを固定する金属板を挟んでの包帯での固定という格好です。トイレへも左に松葉杖、右手は点滴を引っかけている車付きのものでぼっちらぼっちら行くんですよね。

そんなある日トイレで小さい方をしている時、なんか足に水滴というか細かい水滴が飛んで足にかかるのを感じるのです。おしっこが飛んだのかなぁ?と汚ねぇとか思っていて下見たら、真っ赤かの状態。そうなんです。トイレ行く途中に点滴の途中のつなぎ目外れて、血が逆流してるんですよね。慣れというか血を見ることに慣れたというのか、全然びっくりもせず、何にもなかったかのように、外れたチューブを繋いでいました。

この大事故により、なぜかわかりませんが、痛み、血に対する恐怖感はなくなっていました。というより、左ひじの伸ばしたり曲げたりできない状態をなんとかすると言われ、処置室に連れていかれ、ふたりの看護婦さんに後から捕まえられ、左のひじに消毒液を塗られ、医者が太い針をつけた大きな注射器を持ってやってくるやいないや、、、、。

そうです。いきなり肘の関節の間へその太い注射針?を差し込むのです。そして、中のものを探るかのように針先をいろんな方向へ。そしてふと見た注射器の中には、真っ黒と言ってもいいぐらいの血が抜かれていました。

数分後、医者のOKと一言で、針は抜かれ、背後の看護婦から解放されたのです。私は、ほとんどそんなに大袈裟にするほどの痛みとは思わなかったのです。そりゃぁ 一応神経も通っているわけですから、痛いのは痛いですよ。それよりもびっくりしたのは、あれだけ痛みをこらえても動かすことができなかった肘が楽に動いたことです。

肘の関節の骨折か何かだと思いこんでいた私は、うれしくてうれしくて。なんだ、そんなことで動くのかよ。要は打撲で生じた内出血の固まりを注射器みたいなもので抜いただけなのです。それでうそのように痛みもなく、、、、。感激でしたね。

そして、そういう入院生活を韓国で1週間し、日本への帰国へとなるのです。
近い距離ですが、私だけファーストクラスで帰ってきました。

初めての韓国。いろいろな経験をさせてくれた韓国。そして私の人生において大きな存在になっていく韓国。そんな韓国との初対面の思い出です。

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