私の部屋

大変なことに

2007年4月 9日 23:08 | コメント(0)

翌朝レストランでみんな集合となりました。みんなというのは、女の子も一緒ということです。結局ほとんど寝ることもできず、寝不足の一日のスタートとなりました。
なにがおかしいというか変な感じなのは、社長つまり親父と親子で女の子連れて朝食をとっていることです。

その日も、寝不足ではありましたが、午前1件と午後に2件の商社周りを終え、昨日と同じような接待です。昨日は、「オジナム」というところで、本日は、大河と書いて「テーファ」というところでキーセンパーティという接待をしていただきました。

その時は、事前に女の子のお持ち帰りは不要であることを重々商社の人に言っておきましたが、帰る時準備しているのです。それも費用はいらないからというのです。いろいろ話している内に分かったのですが、そこの女の子とできているらしくお客である私が連れて帰らないのに自分だけ連れて帰れないからだったのです。大変ですね。

その日は、ほどほどにして、みんなでウォーカーヒルというところにあるホテルに国家認可のギャンブル場があるので勉強がてらいくことに、外は台風が近づいて来ているせいか風も強く大雨だったのをよく覚えています。

そのギャンブル場は、外国人のみ入場が認められ、韓国人つまり国内仁の入場はできないのです。せっかく一緒に行っても入れず、商社の人間一人と女の子は先にホテルへ戻ることに、のこされた私たちだけ少しルーレットをすることに、、、。

1時間ぐらい遊んで、私と父親である社長とそして商社の人間との3人は、タクシーでホテルへと向かうのです。ところが、走ってたぶん15分ぐらいしたときだと思います。
父親が危ないと大声で叫んだと同時に、私に大きな衝撃とクラクションの響く音が、、、。
そしてだんだんとそのクラクションの音も小さく小さくなっていき、だんだんと血の気が引いていくのです。痛みは全くなく、なんとも言えないいい気持ちなのです。そして脳裏に私の幼児期から映画を見るかのようにスピーディに今までの過去を再現していくのです。

何十年分のものを感覚では、何十分ぐらいかかっているように感じましたが、たぶん数秒のことだと思います。私は、これで死んでいくんだと思いました。過去の映像が終わると白い雲の上に浮いているように見えました。そして隣に座っていた父親も前部座席の間に挟まれたような形で前に飛ばされていました。前に座っていた商社の人間は運転席の方へ横たわっていました。運転手は、ハンドルにもたれるように、、、、。

これが死ぬということなんだ。と思いました。しかし、神様はまだ来るなと追い返されました。とたんに背中に電流の様な激痛が走り、私は、無意識に大声で「痛っい 痛い」と叫びました。叫んでいる内にだんだんと血の気が戻ってきて、意識も戻ってきました。とにかく痛いのですが、みんなが心配です。

私の横で前に飛ばされ、前の左右のシートに挟まれるような形で横たわっている父親をさすりました。何度かしている内に気がつき、私に「事故や。事故や。お前大丈夫か」の連発です。おかしくなったと思いました。そして、前の計器で頭を切り、大量の血が流れていました。そうしている内に商社の人間も気がつき「社長大丈夫でっか?」の連呼です。とにかく、とりあえず命は3にん助かったと思いほっとしました。

外は、大雨の突風です。そこへちょうどパトカーが来たのです。ありがたいことです。しかし、言葉が通じないのです。商社の人間も英語だけ、警察官には通じません。とにかく、父親と商社の人間は外へ。私は、運転席の後で運転席側の正面衝突をしたらしく、私側のドアが変形して開かないのです。反対側のドアから出ようとしたのですが、腰を強打したのか痛くて動けないのです。

たくさんの通行車の方が下りてきて、やっとのことで私側のドアがこじ開けられ、脱出したのです。父親と商社の人間は、歩道に待避していました。その姿を見た私はビックリです。二人とも頭を切っているので、出血がすごいのです。ふたりのスーツは元の色が分からないぐらいに血の色に変わっているのです。
私は、見た目は何もないのですが、後々で分かったことですが、左足の甲の骨折と腰の打撲と左腕の肘の打撲による内出血で腕が曲がらないというものでした。

自分でも信じれないのですが、自分と父親のカバンがないことに気がつき、また事故車に戻り痛みを我慢しながら、車中を探し無事みつけることができました。
そして、なぜか救急車も来ず、そのままパトカーに乗せられて緊急病院へ。病院に着いても父親は、「事故や。事故や。お前大丈夫か?」そして、商社の人間は、「社長 大丈夫でっか?」の連呼だけです。頭を強く打っておかしくなったと思いました。

意識的にまともな私に、看護婦がいろいろ聞いてくるのですが、韓国語は全然わかりませんし、英語も簡単なことは、分かったのですが、連絡先がわからないのです。どこへどう連絡したらよいかわからず、今回商談した時交わした名刺を渡しましたが、真夜中ですから、連絡が着くはずがありません。そうだホテルだ。ホテルへ連絡して説明してもらうように看護婦さんに苦労しながら説明しなんとかホテルへは連絡が着きました。

後は、先にホテルに帰っているもう一人の商社の人間に連絡が着くかどうかですが、もうどうすることもできない状態でした。そして、外傷があるふたりから手当が。事故ということで麻酔なしで傷口を縫うのです。ふたりともその痛みで意識が回復しました。よかったです。後は私です。レントゲンを何枚か撮って、3人病室へ運ばれたぐらいに、運良くもう一人の商社の人間が来てくれました。これで私も安心です。

私は、先程も書きましたように、結果的に一番長引くことになるのです。ベットに横になっても腰が痛くて寝れないのです。そして、左手は肘が曲がったまま動かないし、左足も痛くて動かせないという状態でした。そんなとき、ほっとしたのかおしっこがしたくなったのですね。私は、自力でトイレへ行こうと試みたのですが、全く身体がいうことをききません。
私は、生まれて親以外の人に自分の息子を持ってもらっておしっこをするなんて夢にも思っていませんでしたが、悪夢のように、、、、、。凄く恥ずかしかったことを思い出します。

夜中だというのに、いろんな韓国の商社の方が来てくれ、助かりました。翌日大きい病院に移って再検査してもらえるように手をうつらしいです。始めて来た韓国で入院です。
昨日寝れなかったにも拘わらず、興奮のあまりその日もほとんど寝てませんでした。朝始めて乗る救急車で市内の大きい病院へ。8人部屋を3人専用の部屋にしてもらい、病室喫煙OKというように優遇してもらいました。

初めての韓国 始めての事故 始めて乗るパトカー 始めて乗る救急車 初めての入院と行って2日3日で凄い体験をしました。

入院中のお話は、次回に。

翌朝レストランでみんな集合となりました。みんなというのは、女の子も一緒ということです。結局ほとんど寝ることもできず、寝不足の一日のスタートとなりました。
なにがおかしいというか変な感じなのは、社長つまり親父と親子で女の子連れて朝食をとっていることです。

その日も、寝不足ではありましたが、午前1件と午後に2件の商社周りを終え、昨日と同じような接待です。昨日は、「オジナム」というところで、本日は、大河と書いて「テーファ」というところでキーセンパーティという接待をしていただきました。

その時は、事前に女の子のお持ち帰りは不要であることを重々商社の人に言っておきましたが、帰る時準備しているのです。それも費用はいらないからというのです。いろいろ話している内に分かったのですが、そこの女の子とできているらしくお客である私が連れて帰らないのに自分だけ連れて帰れないからだったのです。大変ですね。

その日は、ほどほどにして、みんなでウォーカーヒルというところにあるホテルに国家認可のギャンブル場があるので勉強がてらいくことに、外は台風が近づいて来ているせいか風も強く大雨だったのをよく覚えています。

そのギャンブル場は、外国人のみ入場が認められ、韓国人つまり国内仁の入場はできないのです。せっかく一緒に行っても入れず、商社の人間一人と女の子は先にホテルへ戻ることに、のこされた私たちだけ少しルーレットをすることに、、、。

1時間ぐらい遊んで、私と父親である社長とそして商社の人間との3人は、タクシーでホテルへと向かうのです。ところが、走ってたぶん15分ぐらいしたときだと思います。
父親が危ないと大声で叫んだと同時に、私に大きな衝撃とクラクションの響く音が、、、。
そしてだんだんとそのクラクションの音も小さく小さくなっていき、だんだんと血の気が引いていくのです。痛みは全くなく、なんとも言えないいい気持ちなのです。そして脳裏に私の幼児期から映画を見るかのようにスピーディに今までの過去を再現していくのです。

何十年分のものを感覚では、何十分ぐらいかかっているように感じましたが、たぶん数秒のことだと思います。私は、これで死んでいくんだと思いました。過去の映像が終わると白い雲の上に浮いているように見えました。そして隣に座っていた父親も前部座席の間に挟まれたような形で前に飛ばされていました。前に座っていた商社の人間は運転席の方へ横たわっていました。運転手は、ハンドルにもたれるように、、、、。

これが死ぬということなんだ。と思いました。しかし、神様はまだ来るなと追い返されました。とたんに背中に電流の様な激痛が走り、私は、無意識に大声で「痛っい 痛い」と叫びました。叫んでいる内にだんだんと血の気が戻ってきて、意識も戻ってきました。とにかく痛いのですが、みんなが心配です。

私の横で前に飛ばされ、前の左右のシートに挟まれるような形で横たわっている父親をさすりました。何度かしている内に気がつき、私に「事故や。事故や。お前大丈夫か」の連発です。おかしくなったと思いました。そして、前の計器で頭を切り、大量の血が流れていました。そうしている内に商社の人間も気がつき「社長大丈夫でっか?」の連呼です。とにかく、とりあえず命は3にん助かったと思いほっとしました。

外は、大雨の突風です。そこへちょうどパトカーが来たのです。ありがたいことです。しかし、言葉が通じないのです。商社の人間も英語だけ、警察官には通じません。とにかく、父親と商社の人間は外へ。私は、運転席の後で運転席側の正面衝突をしたらしく、私側のドアが変形して開かないのです。反対側のドアから出ようとしたのですが、腰を強打したのか痛くて動けないのです。

たくさんの通行車の方が下りてきて、やっとのことで私側のドアがこじ開けられ、脱出したのです。父親と商社の人間は、歩道に待避していました。その姿を見た私はビックリです。二人とも頭を切っているので、出血がすごいのです。ふたりのスーツは元の色が分からないぐらいに血の色に変わっているのです。
私は、見た目は何もないのですが、後々で分かったことですが、左足の甲の骨折と腰の打撲と左腕の肘の打撲による内出血で腕が曲がらないというものでした。

自分でも信じれないのですが、自分と父親のカバンがないことに気がつき、また事故車に戻り痛みを我慢しながら、車中を探し無事みつけることができました。
そして、なぜか救急車も来ず、そのままパトカーに乗せられて緊急病院へ。病院に着いても父親は、「事故や。事故や。お前大丈夫か?」そして、商社の人間は、「社長 大丈夫でっか?」の連呼だけです。頭を強く打っておかしくなったと思いました。

意識的にまともな私に、看護婦がいろいろ聞いてくるのですが、韓国語は全然わかりませんし、英語も簡単なことは、分かったのですが、連絡先がわからないのです。どこへどう連絡したらよいかわからず、今回商談した時交わした名刺を渡しましたが、真夜中ですから、連絡が着くはずがありません。そうだホテルだ。ホテルへ連絡して説明してもらうように看護婦さんに苦労しながら説明しなんとかホテルへは連絡が着きました。

後は、先にホテルに帰っているもう一人の商社の人間に連絡が着くかどうかですが、もうどうすることもできない状態でした。そして、外傷があるふたりから手当が。事故ということで麻酔なしで傷口を縫うのです。ふたりともその痛みで意識が回復しました。よかったです。後は私です。レントゲンを何枚か撮って、3人病室へ運ばれたぐらいに、運良くもう一人の商社の人間が来てくれました。これで私も安心です。

私は、先程も書きましたように、結果的に一番長引くことになるのです。ベットに横になっても腰が痛くて寝れないのです。そして、左手は肘が曲がったまま動かないし、左足も痛くて動かせないという状態でした。そんなとき、ほっとしたのかおしっこがしたくなったのですね。私は、自力でトイレへ行こうと試みたのですが、全く身体がいうことをききません。
私は、生まれて親以外の人に自分の息子を持ってもらっておしっこをするなんて夢にも思っていませんでしたが、悪夢のように、、、、、。凄く恥ずかしかったことを思い出します。

夜中だというのに、いろんな韓国の商社の方が来てくれ、助かりました。翌日大きい病院に移って再検査してもらえるように手をうつらしいです。始めて来た韓国で入院です。
昨日寝れなかったにも拘わらず、興奮のあまりその日もほとんど寝てませんでした。朝始めて乗る救急車で市内の大きい病院へ。8人部屋を3人専用の部屋にしてもらい、病室喫煙OKというように優遇してもらいました。

初めての韓国 始めての事故 始めて乗るパトカー 始めて乗る救急車 初めての入院と行って2日3日で凄い体験をしました。

入院中のお話は、次回に。

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